今朝、引越しの手伝えを少しした。一ヶ月間一緒に住んできたマレーシア人の留学生友達は、今日から東京国際交流会館に搬入することになるから寂しいだ。実は彼女東大農学研究科(私の研究科ではない)を通していろんな書類を記入してその国際交流会館に入居できるように手続きを行ったが、入居許可が下りなかった。しかし、私搬出するよと申告した日に、当研究科の事務担当からいきなり部屋が空いているから、良かったら10月23日に搬入してくださいとの連絡が彼女に行った。
突然に完璧ではない日本語でブログを書く気になった。私は日本語の学習暦は長いが、この特殊な言語は超難しいな言葉であると感じるときも少なくない。要はシンガポールを代表して、文部科学省国費研究留学生として来日して、1年半立ちましたが、単身赴任のせいなのか、日本とシンガポールとの外交に問題が起こったのか、いろんな可能性があるように思われ、生活上にうまく行かなかったことがとても多かった様な気がする。
いつも感謝な気持ちで生きた方が自分にとっても、周りのひとにとっても良い人生を送ることができるとの哲学を理解はしっている。しかし、感謝と不満の気持ちのバランスのように、人にとってすごく大切な原則があるそうだ。それは、『「人にしたこと」と「人からされたこと」は、必ずバランスが取れている』ということだそうだ。
ちなみに入学試験を受けずにに直接修士課程に入学できた他の文部科学省国費研究留学生(フランス人)の状況をみて、自分の状況と比べてみると、あまりにも大事にされないことがしみじみ感じて、かっかりするところが多いのが現状である。例えば:私東大におけるシンガポールから来たただ一人の文部科学省国費研究留学生であったが、最長2年間住む権利のある東京国際交流館では、半年しか住めなかった。しかし、その一方で、南米からきた文部科学省国費研究留学生は、必要となる東京国際交流館に入居手続きを通さずに、普通の外国人留学生より1年多く、3年間の入居許可を得た。聞いた話で、彼を引き取った教授先生が代わりに申し込んとのことだった。
可笑しいよね、他の文部科学省国費研究留学生の教授先生らがこんなにパワーフルで権力があるのに。自分の教授に特別な事情で入試試験を受けられないと報告したとき、彼から「現在の制度で再受験することができません」との答えしか帰って来なかった。人と人との繋がりを重視する日本社会では、(なお国立大学)こんなことがあると、本当に訳が分からないね。また宿舎手配の件について、当研究科の事務の方(山田さん)に応援を求めたが、彼女は、「宿泊のことは自分で解決すべきだ」と言った上、何度も私にTIECの方に「TIEC退去届けを出せ」を提出するように指示するメールがきた。先日あったとき、送ったのはTIECからプレッシャを受けたからと言い訳つけた。さあ、TIECの方から、延長できないのは東大研究科側のやり方だと聞いた。どちらか嘘をつくしせよ、これまで安定した環境で勉強(研究)を進められないのは、事実である。
現実上日本に沢山の友人がいるし、この国のことを肯定的に思い、良い面を世界各地の知り合いに発信したいとの気持ちが溢れていた、そのため、良い給料の仕事をやめて来日した。このような扱われた方に目から鱗だ。
ただ一人の国費研究留学生として来日した研究留学生に対して、現在の研究科は私への扱い方が全て正しいであれば、きっと日本とシンガポール、もしくは日本とアセアンとの間に問題があったにしか思われないね。私の友人(人種、国籍に限らず)知り合いなど皆が有能な方で、世界各地の政治、外交、経済、メデイア、学者などの舞台で活躍をしている。一人の親日派として皆さんにこのような嫌な思いを伝えたくないが、どうも気持ちがすっきりできない。
果たして、これまで時間とエネルギーを注ぎやってきた日本とシンガポール、日本とアセアンとの文化交流活動は、時間の無駄に認めるべきかな???なお、シンガポールでは、日本の大学への進学するより、レベルの高い欧米式教育プログラムも揃っている日本の一流大学にあまり目を向かないのは、シンガポール人留学生がこのような扱い方にされたことに関係ないことは判定できないだろうね。
まあ、以上のコメントは思いついたとき書いたものである。日本の外務省、文部省、官僚、企業に勤める知り合いなどに会うとき、何を言えばよいのかな??シンガポールでは、女性が政治家になる可能性が大きいから、仮に政治家のステージに立ったとき、私は日本で受けた不愉快の対応になかったことにすることができるだろうか。宿泊のことでこんなに追い詰められ、いざとなるとき聖人となり、アジアの伝統価値をあげることによって、苛立ちを抑えて、何もないように続けて笑えると思うか??いつか限界が来ると思うよ。
そこで、もう一度原点に戻り、国を代表し国費研究留学生として来日する学生の存在意味は何かについて掘り下げる必要もあると思う、研究の場において学術の交流は大切だということが言うまでもない。全ての留学生には元のアイデンティティがありながら日本語を習う、思考をすること姿勢が親善を示すひとつの道で、還って日本的なものに縛られることはないはずだ。
西側の考えでは、もの事に対して性化を達成する効率を重んじる、しかし日本、中国、韓国という歴史畳儒教による影響が大きい国では、効率を評価するより、根性を評価する傾向が強い。私は大学での卒論文がアジアの価値観について比較調査を行った。私の考えは、わが国の現顧問相と同じ、アジアをひつとの地域として考えると言ってもよい。しかしそれは決して世界を棄てることに意味しないよ。私の国では、生活文化や価値評価の側面において東側とウェストの元素が混在している、調和を図るためどちらか行き過ぎると、混乱が起こりやすい恐れがある。そこで、いかにアジアを世界との共存をバランスすることこそ平和維持と、お互いの「共同利益」を導き出すことに役にたつのではないか。
神様、天声人語を聞いている?
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